山の話 第1話 排水管理
- 山本真史
- 2月6日
- 読了時間: 2分
更新日:2月10日
水の話でもありますが、治水と利水には「関東流」と「紀州流」があります。
「関東流」は、徳川家康に仕えた伊奈忠次を初代頭首とした伊奈一族が積極的に用いた治水手法で、川の水を溜井に貯めることで使い(利水)、増水した水は霞堤(かすみてい)や遊水地などに滞留させることで洪水を抑えます(治水)。
たとえば現在の利根大堰の西に残る「中条堤」がそれにあたり、対岸の文禄堤との狭窄部で下流に流れる水をしぼり、上流部に意図的にあふれさせることで遊水池を作りだし、約1億㎥をためることで江戸を洪水から守ったと言われています。 https://x.gd/aDR3x
「紀州流」は、徳川吉宗に仕えた井沢弥惣兵衛が普及させた治水手法で、田畑で使用するための水は用水路を開削して川からひき(利水)、増水した水はためずに河道を直線化した連続堤で速やかに下流(最終的に海まで)に排水することで流域を洪水から守ります。
たとえば弥惣兵衛の功績としては埼玉県の「見沼代用水」が有名で、同用水路の開削により約14,000haの新田を開発し享保の改革の一翼を担ったと言われています。また中川下流の一部を直線化したのも弥惣兵衛です。
https://x.gd/jsxHd 見沼代用水
https://x.gd/NnQNr 中川の直線化部
脱線しますが、弥惣兵衛の出生地は現在の住所でいうと和歌山県海南市野上新です。この野上新の「新」とは「野上地域の溝ノ口村の新村」という経緯でつけられた名前で、溝ノ口村から貴志川をはさんで対岸に拓かれました。同海南市溝ノ口(旧溝ノ口村)は弊社代表の私の出身地であるため、弥惣兵衛と同じ出身という事で、同郷推しさせていただいております(^-^;
さて前置きが長くなりましたが、山では大雨の時はこの紀州流の排水の考え方と同じで、山に水を貯めず速やかに排水することで山が崩れることを防ぎます。
弊社林道に敷設しているU字溝などはまさにその典型で、大雨時は大量の水を速やかに沢に排水してくれるため、たとえば下津木の所有林は2011年の紀伊半島大水害の際も全く崩れませんでした(紀伊半島では各所で山崩れが発生)。
動画は昨年の台風の際のU字溝です。
動画ではわかりにくいですが、かなりの量の水がU字溝を走っており、速やかに沢に排水されています。
山はなかなか儲からないので、つい手間(コスト)をかけて整備するのを後回しにしてしまいますが、最低限、排水管理はしっかりしておくことが重要です。
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